Thursday, July 15, 2010

長州5傑の顕彰碑




山口大学の正門近くにある長州5傑の顕彰碑 

ロンドン大学と山口大学との学術交流協定の締結を記念して2006年4月
に山口大学本部(山口市)に建てられたものです。その除幕式には英国
公使が出席されたそうです。さぞ心中は複雑だったでしょう --------

------ なぜかというと,このレリーフの中の井上馨と伊藤博文は,その昔,
1862年12月高杉晋作の指揮のもとで,品川御殿山に建設中であった英国
公使館を焼き討ちした実行犯のメンバーと言い伝えられているからです。

1863年5月長州藩は攘夷を実行。松下村塾の秀才であった久坂玄瑞らは
まず10日,下関海峡を通過中のアメリカの商船ベンプローク号を砲撃,
その後23日,フランスの通報艦船を,26日にはオランダの軍艦へと次々
に外国船に砲撃を加えました。世に言う下関戦争(馬関戦争)の始まり。

同じ時期,5月12日,長州藩の5名の若者(井上馨,遠藤謹助,井上勝,
山尾庸三,伊藤博文)はロンドン大学に留学するために横浜港を出向
(密航)。長州藩は口では攘夷(外国人を実力行使で排斥)をとなえな
がら,水面下で英国に長州の若者を留学させる2面作戦をとるわけです
(長州の二枚舌)。

渡航に際し,その資金面の工夫をした大村益次郎はこの5名に訓示を与え
ました。

『 君たちは将来日本を背負う責任のある者だ。
兵器を購入する資金を君たちにやることは,
君たちが将来の日本をつくる生きた兵器と思うからだ。
責任は全て自分が負うから,安心して新知識を学んでこい 』

                                             
 井上馨(左下)遠藤謹助(左上)井上勝(中央)
山尾庸三(右下)伊藤博文(右上)